2013年06月04日
戦争体験者のオジィを見た!左翼に利用される一途な男性
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ここで新執筆者、30代のウチナーンチュ「麻婆」さんの登場です。
麻婆さんは県外で働いて戻ってきて、また県外へ働きに行ったりと忙しい人ですが、一貫して日本国防の最前線である沖縄をどうやって守るか、個人として何をすべきか考えてきた熱い人です。

今回は特攻隊の訓練を受けた立派な男性が、沖縄左翼に利用されている現状を垣間見たという体験談です。
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【おじいをナンパした話】
これは、2010年の4~5月ごろの話なので、尖閣衝突事件が起こるちょっと前のお話です。
僕は、シナの脅威を沖縄県民に訴えるべく、某SNSで知り合ったKくんと、栄町でポスティングしていました。
ポスティングだけではつまらなかった僕は、道行く人に手渡しでビラを配りはじめました。

数分後、80代くらいのおじいさんが通りかかったので、ビラを手渡しながら声をかけました。
最初、おじいさんの反応は「ふん、こんなビラいらん」
みたいな感じでしたが、私が
「戦時中はどんな感じだったんですか?実際体験された人の感想を聞きたいです」
などと歩きながら食いついていったら、
「なんだ、おじいの話がききたいのか。ちょっと喫茶店でも行くか?」
と言われ、話を聞かせていただくことになりました。
栄町りうぼうでおじいさんの買い物に付き合って、ポスティング中のKくんに電話して来てもらって、栄町に一つしかないであろう、歴史を感じさせる雰囲気たっぷりの喫茶店に到着。
ソファに腰掛けてアイスコーヒーをごちそうになりながら、おじいさんの戦時中の話をきかせていただきました。
ちなみにおじいの外見は、
ちょっと太っていて、白髪で、帽子に白いTシャツ、島ぞうり。
ふつーの沖縄のおじいでした。

・・・えっと、ここから先は、一緒に話を聞いていたKくんの当時の日記をコピペしますね。
僕と受け止め方が違うとこもあるけど、ひとまずご覧ください
ちなみに、Kくんの日記の文中にある「Mさん」ってのは、僕のことです。
ーーー(以下コピペ)
この間、Mさんとポスポスしてた時の話。
( ^ω^)よしっ今日のポス終了!Mさんに電話すっか
(=゜ω゜)ノMさんそっちどうですか?
Mさん:や、今ねぇ 道端歩いてたおじさんにチラシ渡したら食いついてきてさぁ・・・
(;^ω^)えぇ!?
Mさん:何か「日本が手ぇ出さなかったら中国は何もしないよ」って言うから
ちょっと喫茶店で説得しているよ。K君も来ない?
( ^ω^)行きますよ!説得してみましょうよ!
お会いした方は80歳後半位のお爺さんでした。
大戦当時特攻隊に志願していたそうで、当時の事情を詳しく話してくれました。
(右の人差し指が無かった;訓練時に負傷したのだろうか・・・)
【大和魂について】
当時の学校は軍事国家一色、生徒は皆愛国心を持って勉学に勤しんでいた。
沖縄だって日本だ、お国を守るのは当然の事。だから私は特攻隊に志願した。
あの戦争だって日本は東南アジアを白人の支配から開放する為に戦っていたんだ。
大義名分はこちらに有った。
そんな日本だから私は守る為に特攻隊に志願したんだよ。
訓練生当時良くしてくれた上官(九州の人らしい)もいてとても感謝しているよ。
【普天間問題について】
沖縄に基地ができてからもう何年経つ?そろそろいいんじゃないか?
何処かが肩代わりしてくれてもいい頃だと思うのだが。
私は徳之島の住民の基地反対演説を聴いてとても怒ったよ。
なんでも基地は徳之島の美しい自然を破壊するから要らないらしいじゃないか。
沖縄の美しい自然は壊されても良いって言うのか?
辺野古なんかその海にしかいない貴重な生物もいるんだぞ。
徳之島もそうだけど移設候補地はどこもそう。
口では沖縄はかわいそうと言っておいていざ自分の事となると全力で反対する。
皆対岸の火事だとしか思っていないんだよ。
普天間も嘉手納も弾薬庫も何年間こっちにあると思っているんだ。
【中国に対しての危険認識】
沖縄は独立して琉球王国としてやっていければ良いんだよ。
屋良朝助(旧琉球独立党の党首)が国頭の方の米演習場を全部取っ払って
椿の木を大量に植える計画を考えていたが、素晴らしいと思う。
Mさん:沖縄が独立すれば米、中どちらかに必ず支配されますよ。
お爺さん:うーん・・・
どうやら基地と米への憎しみ、それを押しつける本州に対しての
やり切れない思いのせいで思考が停止している模様。
他にもアメリカのイラク侵略戦争等の批判をしていたので、中国の南沙諸島
チュオンサ諸島の実効支配の話を聞かせた。
Mさんがチベット支配、ウルムチ大虐殺の件を聞かせた。米と同等に中国も酷いと、
報道されない中国の素顔を2人でお爺さんに伝えた。
やはり、知らなかった様で困った顔をしておりました。
その後、僕の時間が無かったのでお爺さんとの話はそこで終わりました。
あのお爺さんは大和魂は持っていたんです。
無ければ特攻隊なんて志願できるわけが無いと思うんです。
でも、
偏向報道しか行なわない似非左翼マスコミのせいで、
根本的な打開策を打ち出さない政府のせいで、お爺さんは日本が嫌いになってしまった。
移設候補先の住民が拒否するのは当たり前でしょう。
皆そんな物嫌がるに決まっています。
だから政府は根本的な問題の解決の為に米に理解される努力をしつつ、
自衛隊を国軍にする努力が必要だと、そう思います。
無茶で非現実的でも。
基地による経済効果で潤ってる?
そんな後付の理由でどう納得しろと。そんなの虐めっ子の理屈です。
普天間基地の周りに後から住民が住み着いた?
当たり前ですよ、あそこは市の中心地ですから。
あの辺一帯人がいなくなると宜野湾市から人が相当減りますよ。
・・・とまあ県民は大体こう思っているから、あのお爺さんもそう思っているから
、沖縄は似非左翼が暗躍し易いのかな。
・・・まあ、僕もそう思っているのですがね。
中国に支配されるのも絶対嫌ですが、
米軍をどかす為に自衛隊を国軍にして欲しい。
そうしなければ永久に沖縄県民の虐げられているといった思いは消えないでしょうね。
ーーー(コピペ終わり)
おじいさんの話は、Kくんと二人で同時に聞いていたのですが、僕とKくんの受け止め方の違いがあり、物事は受け手によって変化するものだと感じました。
Kくんは、このおじいさんと九州出身の上官の話をサラッとしか書いてませんが、実際にはもっと色々話していて、
そちらのエピソードが、僕としては印象に印象に残っています。
なかなか感動する話でした。
ここからは、おじいさんの語りモードでお伝えします。
おじいさんはちょっと目線を上にして、遠くを見つめるように話しだしました。

【おじいが特攻隊の訓練兵のころの話】
「九州出身の若い上官がいてな、まだ22~23歳くらいだったのかな・・・すごく良い上官だったよ。。。
ある日、みんなで訓練を受けていたんだよ。
で、僕(おじいさん)は特攻隊に志願しているんだけど、死ななくてもいいんじゃないかと思っていた。そこで、いろいろ考えて、ある日、秘策を思いついたんだ。
それは、海面スレスレを飛行して、敵に爆撃を加えて戻ってくるという作戦。
これだったら味方も死なないし、敵にダメージを与えられるし、良いと思ったんだ。
それを朝礼かなにかの時に上官に言ったら、
「貴様、何を言っている!」
と言われて、ボコボコに殴られた。
でも、僕は小さい頃から祖父に殴られながら育ったから、多少殴られても堪えなくて、
「フッ・・・」って笑ってしまったんだ。
そうすると上官が更に怒って、
「貴様ー!笑うとは何事かー!!!」って、さらにボコボコにされた。
・・・そんで、その日の夜のこと。
みんなが寝静まったころに、上官が僕のとこにやってきて、
「○○(おじいさんの名前)、お前が言ったことは間違っていない。だが、みなの前でそれを認めると、全体の士気が下がってしまう。だからお前をぶん殴ってしまった。」
それで僕は、
「ああ、この人はちゃんとわかってくれているんだ」
と感じて、二人で涙を流したんだ。
本当によい上官だったよ。。。」(語り口終わり)
・・・記憶はおぼろげですが、この上官はその後、散華されています(お亡くなりになられています)。
おじいさんは特攻隊で出撃する前に、終戦を迎えたようです。
このおじいさんとの話で、一番心に残った話でした。
でも、おじいさんは
「あの頃の日本は、今の北朝鮮と同じようなものだったからな」
とも発言していました。
この発言を聞いた時、僕は
「そんなことはないですよっ」
と言いたかったのですが、実際に戦争を体験された方にそういったことを言えるわけもありません。
その発言の理由は、おそらくですが、
戦争中の厳しい訓練、家族や仲間を失うなどの悲惨な状況、敗戦のショック、その後のGHQによる占領政策(日本は間違っている国で、アメリカこそが正義という教育など)、占領政策を利用したサヨク勢力など様々なことが複雑にからみ合って、そのような発言に至ったのだと感じています。
あくまでも個人的な感想ですが。
このおじいさんとの会話、全くの偶然で起こった出来事でしたが、非常に良い経験だったと感じています。
戦争を体験された方の話を直接聞くことは、とても貴重なものだと思っています。残された時間も限りがありますし。
みなさんも機会があれば、ある程度自身で戦争について勉強した上で、戦争体験者の方に質問してみるのも良いですよ。・・・って伊良部島の次男も言っていました。
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