2013年06月26日
慰霊に尽くしてきた人たちを見た!学生たちが頑張っている!
お暑うございますねぇ…
あんまり雨が降らないと、水不足が心配な
「職業・教祖」でございます。
東北では水不足の心配をしたことはなかったなぁ…(雪解け水があるから)
台風が来るのは大変ではあるけど
水不足の解消
川がきれいになる
虫を落としてくれる
等の恩恵もあるんだよ、と沖縄に来た当初教えてもらいました。
自然って、うまくできてるな♪
そんなわけで(?)今日はちょっと真面目モードです。
いつもと雰囲気が違うけど
(たぶん?慰霊祭と顕彰祭でのお祓いにより完全に毒気が抜かれたんでしょう)
中の人はおんなじですw
さてさて、前回告知が載っていた
「殉国沖縄学徒顕彰祭」では
のっけから泣く展開。
(※殉国沖縄学徒顕彰祭=琉球大学の学生が主催し、沖縄戦の学徒に感謝する顕彰祭。靖国神社では行われてきたが、沖縄では初めて)
せっかくの厚化粧も意味がなかったワタクシでございました。


そこで参列者の方から
「糸満の摩文仁で行われる慰霊祭の前夜祭がとてもいい」
とお聞きしたので来年はぜひ前夜祭に参加しようと思っております。
英霊や先人に対し、ワタクシには感謝があるのみでございます。
ご恩に報いることはできないかもしれないけど、なんかさせてくださいな気持ちだけはあるんですね。
(暑苦しいナ)
ちなみに、糸満市摩文仁にある、各県ごとの戦没者の慰霊塔を最初に建てたのは
ワタクシの知人、在沖歴50年という福島県出身の女性でございます。
(教祖、謎の人脈)
初めはあの辺では
「やまとぅーに土地が売れるか!」
ということでなかなか慰霊塔の趣旨とは違うところで困難を極めたそうですが
福島の塔を建ててみたら我も我もと各都道府県が建てはじめ
整備されて平和祈念公園になったらしい。
(ものすごくおおざっぱに言うとだけど、そう聞かされた。)
こういったところでも先人の苦労と今を照らし合わせて
感謝の気持ちがあふれてくるんですよ。
ついでに涙もあふれますけどね。

(福島の塔・これは建て直したもの)

毎年慰霊の日の前に慰霊塔のお掃除のお手伝いに行くんですが
こういうことを続けていくのも根性いるからね。
同じく平和祈念公園で5月の連休に行われる「こいのぼり祭り」
に参加する子どものために郷土のお菓子を毎年送ってくださる
福島にいらっしゃる遺族会の方々、こういうこと続けてくださるのも大変でしょうね…
その日ばっかりきれいなこと言ってるだけじゃダメなんだなと思います。
沖縄の各地にある慰霊塔が、ご遺族の高齢化によって
維持が困難になってきてるとのニュースを見ました。
私は、自虐史観教育がはぐくんだ無関心という罪が
ここに現れてきたなと思いました。
今まではご遺族の気持ちにのみ頼ってきたということですからね。

自分の先祖がなぜ戦わなければならなかったのか
そこを全く教えずに
「戦争は怖い、平和が大事」
「日本軍が悪かった」
とだけ教えていけば、日本人としてのアイデンティティが健全に育つはずもないだろうし
そうなれば嫌なものや面倒なことからは顔を背けたくなるのは当たり前だから
後継が育ってきていないんだろうと思うんです。
私自身がそうだったからこれは自戒を込めて言っています。
あの戦いがなければ、今の日本はあったのか
この平和で自由で便利な暮らしはあったのか
戦時中から見たら未来である現在から過去の大戦を振り返って
あれがなければ今はない。
私はそう思っています。
歴史を考えるとき
点で見るだけではなく流れで考える
その時には思い通りにいかなくて落ち込んでも
後から考えたらいい方向に進んでいた、
そういう流れの最中にいつもいるんだと思います。
そうなるようにこれからの日本を支えていく若者が
関心をもって初めてここ沖縄で『顕彰祭』を行ってくれたことを
私は心から喜んでいます。
ありがとうございました!
そしてお疲れ様でした!!
いつになく
真面目なことを書いてしまいました。
こんな芸当もできるのよ(笑)
さ、次回は『職業・教祖 謎の人脈シリーズ②』
(勝手にシリーズ化)
「とある労組の委員長と知り合いです、というか頼まれて講師をやったぞ!」
をお送りします
皆さんは(というかワタクシが?)労組=極左とカテゴライズしがちだろうと思いますが
ま、そんな方もいらっしゃるんでしょうけど
こんな人もいたよ、というのを若干の身バレ覚悟で書いてみようと思いますw
ではまた!
あんまり雨が降らないと、水不足が心配な
「職業・教祖」でございます。
東北では水不足の心配をしたことはなかったなぁ…(雪解け水があるから)
台風が来るのは大変ではあるけど
水不足の解消
川がきれいになる
虫を落としてくれる
等の恩恵もあるんだよ、と沖縄に来た当初教えてもらいました。
自然って、うまくできてるな♪
そんなわけで(?)今日はちょっと真面目モードです。
いつもと雰囲気が違うけど
(たぶん?慰霊祭と顕彰祭でのお祓いにより完全に毒気が抜かれたんでしょう)
中の人はおんなじですw
さてさて、前回告知が載っていた
「殉国沖縄学徒顕彰祭」では
のっけから泣く展開。
(※殉国沖縄学徒顕彰祭=琉球大学の学生が主催し、沖縄戦の学徒に感謝する顕彰祭。靖国神社では行われてきたが、沖縄では初めて)
せっかくの厚化粧も意味がなかったワタクシでございました。


そこで参列者の方から
「糸満の摩文仁で行われる慰霊祭の前夜祭がとてもいい」
とお聞きしたので来年はぜひ前夜祭に参加しようと思っております。
英霊や先人に対し、ワタクシには感謝があるのみでございます。
ご恩に報いることはできないかもしれないけど、なんかさせてくださいな気持ちだけはあるんですね。
(暑苦しいナ)
ちなみに、糸満市摩文仁にある、各県ごとの戦没者の慰霊塔を最初に建てたのは
ワタクシの知人、在沖歴50年という福島県出身の女性でございます。
(教祖、謎の人脈)
初めはあの辺では
「やまとぅーに土地が売れるか!」
ということでなかなか慰霊塔の趣旨とは違うところで困難を極めたそうですが
福島の塔を建ててみたら我も我もと各都道府県が建てはじめ
整備されて平和祈念公園になったらしい。
(ものすごくおおざっぱに言うとだけど、そう聞かされた。)
こういったところでも先人の苦労と今を照らし合わせて
感謝の気持ちがあふれてくるんですよ。
ついでに涙もあふれますけどね。

(福島の塔・これは建て直したもの)

毎年慰霊の日の前に慰霊塔のお掃除のお手伝いに行くんですが
こういうことを続けていくのも根性いるからね。
同じく平和祈念公園で5月の連休に行われる「こいのぼり祭り」
に参加する子どものために郷土のお菓子を毎年送ってくださる
福島にいらっしゃる遺族会の方々、こういうこと続けてくださるのも大変でしょうね…
その日ばっかりきれいなこと言ってるだけじゃダメなんだなと思います。
沖縄の各地にある慰霊塔が、ご遺族の高齢化によって
維持が困難になってきてるとのニュースを見ました。
私は、自虐史観教育がはぐくんだ無関心という罪が
ここに現れてきたなと思いました。
今まではご遺族の気持ちにのみ頼ってきたということですからね。

自分の先祖がなぜ戦わなければならなかったのか
そこを全く教えずに
「戦争は怖い、平和が大事」
「日本軍が悪かった」
とだけ教えていけば、日本人としてのアイデンティティが健全に育つはずもないだろうし
そうなれば嫌なものや面倒なことからは顔を背けたくなるのは当たり前だから
後継が育ってきていないんだろうと思うんです。
私自身がそうだったからこれは自戒を込めて言っています。
あの戦いがなければ、今の日本はあったのか
この平和で自由で便利な暮らしはあったのか
戦時中から見たら未来である現在から過去の大戦を振り返って
あれがなければ今はない。
私はそう思っています。
歴史を考えるとき
点で見るだけではなく流れで考える
その時には思い通りにいかなくて落ち込んでも
後から考えたらいい方向に進んでいた、
そういう流れの最中にいつもいるんだと思います。
そうなるようにこれからの日本を支えていく若者が
関心をもって初めてここ沖縄で『顕彰祭』を行ってくれたことを
私は心から喜んでいます。
ありがとうございました!
そしてお疲れ様でした!!
いつになく
真面目なことを書いてしまいました。
こんな芸当もできるのよ(笑)
さ、次回は『職業・教祖 謎の人脈シリーズ②』
(勝手にシリーズ化)
「とある労組の委員長と知り合いです、というか頼まれて講師をやったぞ!」
をお送りします
皆さんは(というかワタクシが?)労組=極左とカテゴライズしがちだろうと思いますが
ま、そんな方もいらっしゃるんでしょうけど
こんな人もいたよ、というのを若干の身バレ覚悟で書いてみようと思いますw
ではまた!